久しぶり

 ツイッターでは毎日たくさんツイートしているけど、すべて断片的でなかなかまとまらない。要約するのはうまくなったが長文を展開するのは苦手になってしまった。そのためなかなか日記が書けない。前回から一か月以上経過してしまった。
 ツイートと重複する部分もあるがちょっとまとめてみた。

 今朝は寝起きから気分が悪かった。二日連続で安い鶏肉を食ったせいかもしれない。嗜好品でさえ変性意識状態をもたらすのだから、食べるものの影響は大きいに決まっている。ブロイラーチキンの発想とでも言えそうな否定的、悲観的で絶望的な考えばかりが湧きおこる。
 知能が発達し意識を持つに至ったのは果たして本当に進化と言えるだろうか。そのせいで数限りない悲劇が繰り返されている。進化というよりただの不運な奇形ではないだろうか。生命の誕生そのものが超超超不運な悲劇の始まり。
 人間はみんな自信過剰だ。どんな思想も信条も、思考の断片も、わけがわからず気が狂って苦しみのたうちまわっているうちにやけくそで無理やりひねり出したものに過ぎない。そんな人間が人間を裁く。なんたるディストピアか。

 なにが「青少年の健全な育成」だ。人間がどのように育つかなんて誰にもわからないし、「健全」ってなんだよ。社会の部品としてぴたりとハマることでしかない。「青少年の健全な育成」とは「従順で役に立つ奴隷の育成」でしかない。意図的なのかわかってないのか知らないが。教育なんて実質は洗脳だ。ただ単に目的によって教育と言ったり洗脳と言ったりする。表現が違うだけで実質は同じだ。
 教育者というものが大嫌いだ。自分には人を教え導くことができると思っているなんてなんたる思い上がりか。またそれをしたがる奴のどす黒い欲望。支配と洗脳。独裁者になりたがるのと似ている。
 学校は大嫌いだったし、「先生」というものはすべて殴り殺したくなるような奴ばかりだった。愛情押し売りタイプもいれば独裁者タイプもいるが、共通しているのは自分の欲望を実現するためにやっているだけだということ。「先生」になりたがる時点で人格に問題がある。不祥事が続出するのも当然だ。学校なんていらない。学びたければ個人が独学すればよいし、教えてもらうより独学したほうが知識も考え方も身につく。
 義務教育がなければ無知で馬鹿になるかといえばそんなことはない。人間は全員無知で馬鹿なのだ。しかし必死で学ぼうとする人はいる。義務教育なしで馬鹿になる人間は、義務教育があっても馬鹿だろう。義務教育は馬鹿に知識という危険なおもちゃを持たせてしまう。自ら学ぼうとしない者は学ばないほうがよいのだ。

 すべては劣化していくものか。少なくとも生命はそうだな。徐々に劣化し老いて死ぬのだ。あらゆる天体が死に向かっているのだから、その表面に寄生している生命も同様だろう。

 俺の言うことなんて当てにならない。一時間眠っただけで考えが変わるかもしれない。だがそれで当然だ。全ては変化するということだけが、人間が知りえたこの世の事実だ。他のことは全て憶測でしかない。

 全ては変化するということが事実なら、全ては変化するという事実も変化しているはずだ。すなわち、変化が進行したり止まったりしているのだろう。変化が止まることなどないように思えるのも当然。変化しないということは何も動かない、何も働かないのだから、止まっていることを認識することもできない。人間が一瞬と感じている時間の間にも数億年数十億年の無変化期間があっておかしくない。変化が止まれば何も変わらないのだから、天体も運行しないし生命も老いない。再び動き出したときに無変化期間を認識することができないのは当然だ。
 そんなこと考えても無意味に思えるかもしれないが、俺はこの世の事実よりも重要なことなんて何もないと思ってる。

 ツイッターは文字数が限られるので、詳しい説明はできない。抽出したエキスのような濃厚でわかりにくいツイートになる。わからない人はわからなくていい。俺は俺のためにツイートしているのだ。斬り捨て御免。
 それにツイッターで渾身のツイートをしても、大抵は誰にも届かずに流れ去る。

 交換日記が一ヶ月以上止まっているしツイッターに倦んだので書いてみた。暗澹たる思い。あまり気にしないでもらっていい。俺なんてちょっと寝れば気分がよくなる。

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