自然のままに

 風呂屋を語るかと思いきや心変わりして環境問題を語る。
 俺は環境問題をあまり問題視してない。人間は自然から生まれて自然に還る。人間だって自然なのだ。自然から生まれた自然である人間が作り出した人工物だって自然の一部だ。人間だけを特別視して、人間のエゴが環境を破壊していると言われるが、エゴだって自然だし、エゴのせいで人間が滅びるならそれもまた自然だ。地球全体を巻き添えにして惑星一個死んだとしても、それも自然現象なのだ。
 ナチュラリストのおかしなところは、人間による環境破壊を問題にしながら、人間が変わりなくより幸福に生きられることを望んでいるという点だ。ナチュラリストの言う「自然環境」が本当に大事ならば、このまま人間が絶滅すればよい。すべての問題が解決する。
 環境を破壊するのはなにも人間に限ったことではなく、自然現象で環境が破壊されることだってある。人間は愚かだと言われるが、ほかの動物と比べて特別愚かだとは思わない。動物と同じだ。問題は人間が愚かなことではなく、数が多すぎるという一点に尽きる。
 また環境破壊というものの認識も間違っている。人間が言う環境とは、人間が生きていける環境のことでしかない。そんなものはぶっ壊れても自然にとっては些細なことだ。宇宙には生物が存在できない星のほうが圧倒的に多いのだ。
 人間が変わらずに生存するためには個体数を激減させる必要がある。減らさない、さらには増え続けるとなると、よほど大きな進歩がない限り絶滅は避けられないだろう。
 そして、仮に人間が絶滅したとして、それが何だというのか。人間だけでなく地球全体を巻き添えにして一つの星が死んだとしても、自然にとっては取るに足りない些末なことだ。自然とは宇宙のすべてであり、地球一個なくなったとして宇宙にどれほどの影響があるというのか。
 地球の自然環境を守るという視点から見れば、人間さえいなければすべてがうまくいく。また、人口が少なければ人間がやりたい放題やっても環境を破壊することなどできない。自然環境は自然に回復する。
 問題を問題と認識しているのも人間なので、人間がいなくなれば問題もなくなる。
 ナチュラリストの多くは人間のエゴを批判するが、人間を進歩させたのもエゴだ。エゴがなければ確かに問題は起こらないが、人間ではなくなり猿人あるいは類人猿まで退化することになる。極端なナチュラリストはそれを望んでいるのかもしれないけど。
 何のことはない。自然環境を守れと言うのは、「私が快適に生きていける環境を守れ」と言っているにすぎない。
 本当に自然環境を守りたければ、死んで自然に還ればいいのだ。

 思い浮かぶままに書いた。乱文失礼。