反社会人

 今日は夜中に起きてしまい、当然のようにツイートし始めたのだけど、その大半を削除した。まず冒頭に、削除したツイートを列挙する。

・神奈川県警が声掛けか。余計なお世話だな。今のところ夜の繁華街を対象にしてるようだから関わることないと思うけど、そのうち監視されるようになりかねない。
・まだ自粛要請だけど、禁止されるのも時間の問題かなぁ。
・通勤止めずに遊びは自粛か…
・狂い出すんじゃないかな。
・もう始まってるか。
ゴールデンウィークに遊びに行けなくなる可能性あるな…
・「遊ぶ」とか言うだけで怒られるようになるかな。
・兄はスマホしか持ってないし俺はガラケーだからメールしかできない。
・国にとって感染抑止は建前なんじゃないだろうか。外出禁止でなく自粛要請なのは、全体主義に持っていこうという狙いがあるのではないかと思えてしまう。
・俺が自粛に逆らいたくなるのはそういう勘繰りがあるからかな。
・まじめに自粛するなら買い物と通院しか出られない。
・感染のリスクをおかしてでも遊びに行きたい俺は非国民か。それどころか人類の敵かもな。だが俺の視点からすれば、これまでの人生をとおして、人間社会が俺に対して敵対してきたのだ。少数派の感覚はだいたいこれじゃないだろうか。
・感情的にはおさまらないものがあるが、身を守るために協力しておかないとまずいことになりそうだ。
・少数派の中でも少数派か。虐げられてきた者の感覚は、表には出さないほうがよさそうだ。一生虐げられてなきゃならないのか…
・社会に対する恨みみたいなのがまだ消えてないんだな。これを捨ててしまわないと「反社会人」として……
・やっぱりSNS向いてないかもな。自分の首を絞めるようなこと言ってしまう。
・また消しとくか…

 これらをツイートするにつれてだんだん不安になった。そして不安の源を突き止めようとして気づいた。自分の中には社会人としての責任感がないのだと。自分がコロナで死ぬ可能性は重々承知してるけど、人にうつす可能性についてはよく考えてなかった。それもセットで自粛に繋がるわけだが、自粛要請であって禁止命令ではないのになぜ自ら進んで服従するのだろうと不思議に思っていた。そしてそれを大っぴらに宣言してしまっていたことの危険性に思い至った。義憤にかられる人は必ずいる。

 自分の身勝手さに気づいた。自分が納得すれば、人間社会の未来などどうでもいいのだ。コロナ終息を願うのも、自分と仲間のためでしかなく、赤の他人に関してはむしろ人口が減ってほしいなどと思っている。

 人間社会に対する怨念だ。これを捨てなければ、心から協力することはできない。

 国や自治体が要請にとどめて、命令しないのは、単なる責任回避ではなく、そうしておけば日本人社会は自ずと全体主義の相互監視社会になる、それが狙いではないのか。そして密告が推奨されるようになり、俺のような「反社会人」は密告され何らかの刑罰を受けることになる。あるいは私刑に遭うかもしれない。
 統合失調症だから被害妄想なのかもしれないが、そう思えてならない。

 俺は反社会的でサイコパス的だ。本音でツイートしていればそれが表に出てしまう。

 そんないきさつで、ツイートが非常にやりにくくなった。

 うまくまとめられず、読みにくくわかりにくいものになってしまった。申し訳ない。なんとなく感じ取ってほしい。
 今後の人生を左右する重大テーマなので、今後また同じようなことを書くかもしれない。

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