日記2020年4月1日

 昨夜は21時ごろ寝たのに、今朝は9時ごろ目覚めた。何度も何度も昼寝したうえによく12時間も寝たな。起きたくなかったのかな。
 今日は憎むべきエイプリルフールなのでツイッターは一切やらないと決めている。
 遅くなってしまったので朝食をうどんにして今すぐ食おうかとも思ったのだが、コーヒーを飲まないと何もできないようだし、やはり玄米を炊くことにした。玄米をまず炊き始めてからコーヒーを淹れ、少し躊躇してからPCを起動。ツイッターやらなくてもどうせたくさんの駄文を書くし、ネットもツイッターだけではない。CGもつくるし、娯楽も大部分PCに詰まっているのだ。スマホ依存を馬鹿にしているが自分はPC依存だ。他人のことをとやかく言えた身ではないが、それでも言う。スマホ依存は危険だ。意見を発表しているのではない。警鐘を鳴らしているのだ。批判は受け付けない。
 アメリカへ行ったのは一ヶ月弱だったろうか。早くも記憶が怪しいが、その間だけスマホを使っていたので、スマホがいかに便利かも知っているが、それがいかにストレスであるかも同時に体感した。端的に言えばスマホに振り回される。利便性と害悪が一体になっていて切り離せないのだ。
 利便性についても俺はそんなに良いとは思えなかった。最寄りのディスペンサリーをマップで調べると、半自動的に経路と交通手段がわかり、さらにはバスの時刻と所要時間までわかった。それが「便利で快適!」とは思えないのだ。やりすぎ感がある。「次のバスはこの時間だ。さあ急げ!」と言われているような、常に急かされているような感じがした。だから俺は経路と手段を確認するにとどめて、時間は気にしないことにした。どのバスに乗って何個目の停留所で降りればよいか、それだけわかれば俺にとっては十分だった。そしてそれはPCでもできることなのだ。目的地までの地図を見て、路線検索をして、印刷するなりメモをとるなりすれば済むことだ。
 コミュニケーションツールとしての機能については、評価できるほど使用する機会がなかった。連絡をとる相手が四人しかいなかったし、Eメールとショートメッセージぐらいしか使わなかったから。ただ、常に携帯していることが前提になっているから、コミュニケーションもちょっと忙しすぎるなとは思った。
 俺にとっては相手がいつ読むかわからないEメールと、どうしても必要な時だけ電話を使えば十分だ。だからPCとガラケーでよいのだ。
 これからは5Gとやらが主流になるそうだが、まったくもって迷惑な話だ。俺のガラケーは3Gなのだが、キャリアは2022年3月末までで3Gサービスを終了すると言っている。新しい端末の購入と新しい(もちろんより高い)料金プランへの変更を強要される。それでもスマホよりは安い。俺はガラケーがなくならない限りスマホにしないかもしれない。またはコストが逆転するか。

 どうでもいいことだが、「覚」と「憶」を意味の違いで使い分けている人は少ないような気がする。似たようなものと思われていそうだが、大きな違いがある。どちらも義務教育で習う簡単な漢字であり、PCであれスマホであれ書く面倒もない。だが圧倒的に「覚」の字が多く使われている。間違いではないことになっているが、俺は強い違和感を覚える。
 記憶の「憶」と知覚の「覚」だ。憶えるのも使い分けるのも簡単だと思うけどな。

 朝食が11時過ぎになってしまった。
 飯食って後片付けをしたらもう12時を過ぎた。昼寝するかな。

 1時間ぐらい寝た。

 俺は政治にまつわることはできるだけ言わないようにしてる。言いたいことはいくらでもあるのだが、ツイッターで政治を語る奴は気持ち悪くて嫌いだし、俺の考えを公の場で放言したらそれだけで逮捕されてしまいそうだから。おとなしくしているが考えてることは過激だ。身を守るためにネット上では言えない。戦国時代のようなやり方をすればいい、と言えばだいたい想像つくかな。具体的なことは大っぴらには言えない。
 日本は平和だ。悪い意味で。

 アメリカ行った時のことをまた思い出した。ちゃまさんもお友達も、スマホがあればどこでも行けると言い、さらには別の州にも行けるとか、カナダまで行けるとか言い出したが、俺にはそんな行動力はないし、そもそも旅行の目的が違うので何とも言えなかった。
 欧米は禁煙法の先進国だが、シアトル近郊の路上は吸い殻だらけだった。屋内から喫煙を追い出した結果、路上喫煙が当たり前になったのだろう。日本もこれからそうなるだろう。今日付けで新しい健康増進法が施行されたことだし。上っ面だけ変に生真面目だから、路上喫煙を注意して殴り合いに発展したりするんだろうな。馬鹿らしい。俺は働いてないから自宅で吸えばあとはなんとかがまんできるだろう。飲食店がすべて禁煙になって、酒を飲みながら一服したりすることができなくなってしまうが、飲食店にいる間ぐらいがまんできる。一人では飲食店も滅多に行かなくなってしまったしな。
 タバコはやめたいと思ってる。体に悪いからではなくて金がかかるから。普段は粗食だから、食費よりタバコ代のほうが高いのではないだろうか。しかしやめられない。売っているからだ。健康増進法とか言ってないでタバコの製造販売を止めてくれればいいのに。なければがまんできる。

 働く喫煙者はかわいそうだ。俺の偏見かもしれないが、労働に関しては非喫煙者より喫煙者のほうが有能だ。俺がそうだったように。そしてできればタバコを吸いながら仕事ができると最大のパフォーマンスを発揮する。昔はみんなそうだった。
 働いてた頃、喫煙時間が長いとかいう下らない注意を受けたことを思い出してまたむかついた。いくら喫煙しようが俺が他人の倍以上の成果を上げていたことは明らかなのに。そして口うるさい非喫煙者どもはといえば、わざと仕事を遅らせて残業代を稼いでやがった。そんな奴らに注意されるいわれはない。俺は定時で馬鹿どもの倍以上働いてさっさと帰っていたので収入は一番少なかっただろう。時給制だから。
 データ入力の仕事だから成果は文字通り目に見えたが、まったく評価されなかった。会社にいる時間の長さだけが評価されるのだ。クソみたいな仕事だった。どうせ俺みたいな人間にとってはあらゆる仕事がクソなんだろうけど。

 15時になった。
 なんとなく熱っぽいので体温を測ってみた。36.0だった。体温計がおかしいのか俺の体温が低いのか知らないが、平熱は35度台だから、微熱があるのだろうか。少し咳が出たのでコロナかなと思った。明日になればわかる。ただのカゼだったら一晩で治る。悪化したらコロナかもしれない。だとしてもつらくなるまで病院には行かないし、行くとしても普通に内科行ってカゼっぽいと言うしかない。コロナっぽい症状があっても検査はしてもらえないのだから。
 デマに惑わされず正しい情報を、と厚労省が呼びかけているが、厚労省ほど信用できない情報源が他にあるだろうか。大嘘つきの厚労省厚労省にかぎらず、国も自治体もすべて信用できないけどな。信じられるのは自分と仲間だけだ。

 昼飯を食った。玄米と納豆。近頃はそればっかりだ。それが一番安いし簡単だしうまいから。そして食ったら昼寝するのが習慣みたいになってしまった。寝るか。

 17時過ぎに起きた。カゼっぽいのはもう治った。体温は変わらず36.0だったけど。どうも安物の体温計だしいまいち信頼性がない。俺の平熱が35度台というのもおかしい。精神科隔離病棟に監禁されていたとき毎朝検温したが、平熱は36度台だったのだ。平熱がそんなに急に変わるだろうか。測り方による誤差の範囲かもしれない。
 昼飯のときに二食分炊いておいたので夕飯を食った。また玄米と納豆だ。食後の一服をして、夕食後の薬を飲んだかどうかわからなくなってしまった。飲まないことにした。一回ぐらい飲み忘れても問題ない。飲みすぎのほうが問題あるだろう。
 精神科の処方箋薬とももう長い付き合いだな。記録によれば初診日は2012年10月20日だから、丸7年を過ぎて8年目になるのか。もうすっかり身体依存しているだろうけど、やめないのだから関係ない。抗鬱剤は徐々に量を増やして今では処方可能な最大量を飲んでいる。その上コーヒーを飲んでカフェインをドーピングしないとやってられない。これは病状の問題ではなく環境の問題だと思う。こんな世の中で少しも鬱にならない人間は逆にどこかおかしいのではないか。
 アメリカで聞いた話だが、向精神薬を俺ぐらい飲んでいると、各種ドラッグが効かなくなるらしい。それも特に問題ない。WEEDはちゃんと効いたから。ケミカルにはあまり興味がないし、きのこは大量に食えばいいのだ。まあそんな機会ももうないかもしれないが。

 タイ行きはもうすっかり諦めた。飲んでる薬の中に、最大29日分しか処方できない薬がある。それを無視して通院頻度を減らすにしても限度があるだろう。数ヶ月に一度は飛行機に乗って通院しなければならないのだ。そんなこと俺には無理だ。今の家から家賃のより安い公営住宅に引っ越す必要もあるし、引っ越しももう二度とご免だ。それに、タイにそれほど興味がないこともわかった。下見旅行さえ面倒で嫌なのだ。俺は海外旅行に向いてないという結論に達した。
 アンチさんがアメリカ移住して招待してくれれば行くよ。そしてそれが人生最後の海外旅行になるかもしれない。

 さてまた少し寝ようかな。18時36分。
 19時28分に起きた。
 CGつくった。
 20時32分。腹がへったらうどんでも食おうと思っていたけど、へらないようなのでもう歯をみがいた。

 CGといえば、オンライン販売からは撤退したよ。fine art americaもTシャツトリニティもアカウントを閉じた。今後Standa1oneは、表向きは作品を売らないアーティストとしてやっていく。でもコピーならいくらでも売る。権利は売らない。つまり、個人的に要望があれば印刷物は低価格で販売するけど、同じ作品のコピーを売り続ける権利は保持する。デジタルのオリジナルって何なんだという疑問があったが、オリジナルなんてないんだ。コピーを売る権利がオリジナルに相当するものだと考えた。そしてその権利は決して売らない。デジタルデータなので売るのは印刷物に限る。データは売らない。
 アンチさんとローガンが買ってくれた1点のみが例外。あれだけは方針転換前なのでコピーも売らない。
 ペロツンがプリントを欲しがってくれてたけど、この販売形態ならばA4サイズは1枚2千円ぐらいでいい。印刷のコストや手間を考えても2千円で売れば利益があるだろう。A2サイズは印刷屋さんに発注するのでもっと高くなるけど。
 作品を売るのではなくコピーである印刷物を売る。それならば廉価でいくらでも売っていい。広まれば広まるほどいい。コピーのコピーをばら撒いてくれても結構だ。
 アートと資本主義経済は根本的に相反する。アートで商売してはいけないのだと思うし、その商売は成り立たない。アートで飯食ってる奴もいるけど、マーケティングがうまいだけで、それはもはやアートではないような気がする。資本主義の下ではアーティストは食えないものだ。
 商売として成功してる奴はだいたいおもしろくないし、アートについて真剣に考えてないと思う。アートって何なんだという根本的な問いを突き詰めて考えれば、それは決して大金をもたらすものではない。

 21時50分。
 最近、金について頻繁に考える。金を稼ぐことはとっくに諦めている。そして俺の場合、金を残しておいて意味があるだろうか。いつ金の価値がなくなるかわからないし、資本主義がもう少し生き続けると仮定しても、どうせ生活保護に頼るしかないなら、金を隠し持っているのはリスクでしかないのだ。いろいろ面倒なのでなくなったことにしていたが、実は母親の遺産はなくなっていない。まだ少しあるのだ。これをケチっても意味がないような気がしてきた。
 しかし、何事か始められるほどの額があるわけではないし、俺には有意義な使い道などない。結局節約生活に努めて生活保護をできる限り遠ざけるしかないのだろうか。アメリカシアトル旅行の費用もここから出した。そして将来アンチさんを訪ねて再びアメリカへ行くときにも同様だろう。それ以外に使い道を思いつかない。せいぜい生活保護前にPCを買い替えるとか、音楽CDを買うとか、それぐらいだ。
 障害年金の口座と遺産とは分けてあり、障害年金を生活費に、遺産を遊びに使っている。だが俺の遊びなんてたかが知れてる。社会の大半に興味がないのだから。その上めんどくさがりで出不精だ。
 もしもWEEDが合法化あるいは非犯罪化されれば大量に買うだろう。毎日吸い放題吸ってれば金はすぐになくなる。そしてそれは俺にとって非常に有意義な使い道だ。だがそれはおそらく叶わぬ夢だろう。日本は永遠に解禁しないような気がする。

 もう一つ考えているのが生きる理由だ。今のところまだ死にたくないと思っている。それはなぜなのか。生きて何をしたいのか。死にたくない理由がわかれば、それが最優先でやるべきことであるはずだ。それが何かわかれば、途端に人生が充実する。しかしこれがやっかいな疑問で、いくら考えても一向にわからない。生物だから死にたくないだけなのだろうか。
 CGはライフワークと位置づけてはいるけど、例えば大地震とかで作る手段を失うというような可能性が考えられるが、そうなってもそれほど気にならないと思う。できないならできないで他のことをするまでだ。つまりCGだけでは満足していないということになる。
 死ぬときになって気がついて、あれをやればよかったと後悔するのは嫌なのだ。だから毎日考えてる。死にたくないのはなぜなのか。何が未練なのか。

 友達がいるからという理由ももちろん入っているよ。

 23時になった。エイプリルフール終了まであと1時間。
 CGつくる以外にとくにやることなかったので、今日はずっとこれを書いていた。冗長でごめんね。そろそろ終わりにする。

 9時まで寝てたし昼寝もしたから今日はまだ眠くない。0時までは音楽聴いてて日付変わったら少しだけツイッターに登場するかな。

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