20191110雑記

 午後から寝るまではだいたい鬱状態になる。
 残りの人生をどうしたらいいのか、どうしたいのかわからない。

 もしも最高の物質が存在すれば、ワントリップで死んでもいいと思ってる。最高の楽しさ、最高の快楽、最高の多幸感、最高の解放感、最高の安心感の中で、恐怖も不安も一切なく、全てに納得して、最高の状態で知らぬ間に死ぬ。それ以上に幸せな死に方などあるだろうか。生存時間の長短など問題ではない。

 苦しみばかりでつまらない長寿に何の価値があるか。

 現実でも非現実でも関係ない。主観的にはどちらでも違いはない。

 

日本の大麻議論は無意味だ。
溝が埋まることは決してない。
どちらが正しいとか関係ない。
ひたすら不毛な喧嘩でしかない。
議論なんぞは見たくもない。
有能な人は日本から出て行く。
俺はただ黙って待つしかない。


 暫定的な結論だけど、俺にはタイに住むことはできそうにない。永住できるならまだしも、通院のたびに日本に戻らなければならないのだから、住むというより旅行の繰り返しだ。そして旅行は俺にとってストレスなんだ。
 準備段階として、日本での住居をより安いところ(公営住宅)へ変える必要がある。引っ越しも多大なストレスで、現状の俺にはできない。

 調子がよくなれば一回旅行に行くぐらいはできるかもしれない。それでもタイ国内での長距離移動は無理だ。バンコクで一ヶ所に投宿して期間内に思い切り楽しむだけだろう。それも内面的な楽しみで、冷房の効いた部屋から出るのは楽しい散策ではなく面倒な用足しでしかないだろう。食べ物はおいしいだろうけど。

 性格的に心配事の種は尽きない。

 アメリカ行って以来、飛行機のエコノミークラスが大嫌いだ。酷いエコノミークラス症候群になったし、決してリラックスできない環境で超長時間じっと耐えなければならない。そんなことを毎月繰り返すなんて無理だ。通院頻度を減らしてもせいぜい隔月になるくらいなもんだ。大した違いはない。

 そしてずっと金の心配をしていなければならない。日本での家賃、タイでの家賃、通院の交通費は飛行機代+α、タイと日本に戻ったときと物価の異なる二重の生活費、それら全てを障害年金以内に収めなければならない気苦労。

 俺は旅行に向いてない。

 今は調子がよくないからそういう考えになるのだ、と思ってみても、調子がよくても事実は変わらない。

 一方で日本に居続けるのもまた希望が感じられない。

 最近考えているのはこんなことだ。
 時間が経てばまた考えも変わるのかもしれないけど。