ジャンキーとは俺のことだ
ツイッターユーザーは見たくないものを見つけるのがうまいね。ツイッターに限ったことじゃない。人間は気に入らないものばかりを見出しては文句を言う。素晴らしいものは目に入らないか、気づいても見て見ぬふりをする。素晴らしいものは自分の主張を否定するからだ。
多くの人は人生を設計し成功を目指すものらしい。俺は何も設計しなかったし今も無計画に生きている。設計通りに生きても、設計通りにならなくても、いずれにせよ苦痛だと思う。人生は苦なので無計画でも苦なのだが、度合いが違う。好みの問題かな。
俺は一人で考える時間が長すぎたのかな。それはこれからも続くのだけど。
毎日寝てばかりいる。シラフで覚醒していてもおもしろくない。ネガティブな妄想ばかりが暴走する。シラフでいたくないけど酒は飲みたくない。酒しか許されないことに強く遺憾の意を表する。
なぜ酒は世界中でメジャーな合法ドラッグなのかといえば、酒は社交性を発現させるものだからだ。いかに危険だからといって、酒を攻撃するのは下策なのだよ。ほとんどの人は無理強いされた居心地の悪い人間関係の中で生きていかなければならないのだから、飲まなきゃやってられないのだ。
一部中東イスラム圏では酒が禁止されているけど、その理由は単純に酒を飲むと危険な環境だからだろう。大部分砂漠で水が貴重なのだから。砂漠で酒なんか飲んだら死んでしまう。
酒は社交ドラッグだから俺とは相性が悪い。一人で飲んでもちっとも楽しくない。また、酒を飲まなければ楽しくない人間関係なんていらない。
一時もシラフでいたくないが、俺に適した物質はことごとく規制対象だ。
なぜ危険性も少ないドラッグが忌み嫌われるのか。それは大部分の人間に共通する苦労信仰のせい。快楽は罪悪なのだ。なぜそうなるかといえば、昔は皆が苦労して働かなければ生きていけなかったから。今では単に苦労知らずだからだろう。苦労なんかないに越したことはないということは、我々のように苦労が大半を占める人生を送っている人間でないとわからないのだ。
日本に生まれたことを恨めしく思うよ。しかし、もし俺がドラッグが蔓延している場所に生まれていたら、何らかのオーバードーズか混ぜ物のせいで若くして死んでいただろう。本来の俺はそんな人間だ。それでよかったのにとも思う。実際の俺は引き延ばされた余計な人生を生きているような気がしてならない。
実際問題として、これ以上生きていて何になるのか。何も得られずうんざりし続けるだけだとしか考えられないのは、今は頭の調子が悪いからだろうか。
何も成し遂げていないし、何もしていない。生きてて空しい。ウィリアム・バロウズは、ジャンキーがなぜドラッグを使用するのかについて、「他にやることがないからだ」と言っている。至言である。
俺は手に入らないからシラフでいるだけであり、本質的にはただのジャンキーだ。
苦痛と快楽のどちらに価値を置くかでその人のドラッグに対する姿勢が決まる。それぐらい単純なことにすぎないと思う。
ドラッグに関して真剣に議論したり、さらに論争や喧嘩に発展している連中を見ると、馬鹿じゃないかと思う。もう見ないようにしてるけどね。
今朝はそんなことを思いましたとさ。そして別の機会にはまた別のことを思うのだろう。なにもかも変化するものだ。