我々の生きづらさと今後の人生について

さっそくTwitterのアカウントを削除してみた。

といっても30日以内にログインし直せば復活できるみたいなので、少なくとも1週間とか試してみたいと思って。できればもう少し長く。

もしこれで問題なければこのまま消えてもいい。自分がほんとに消えるわけでもないし。

 

まだ「消えて」から1日も経ってないけど、今はけっこうすっきりして気分がいい。

万が一誰かに私のこと訪ねられたら「アンチ偽善は生きている。お金はまだない」ってそれだけ言っといて。

 

すっきりとは言ったけれども、なんでもかんでもいちいちつぶやいて過ごしてきたわけだから、変な感じはする。お酒やめた時ほどの不安はないけれど。

でも毎日毎日TLみていろんな人のいろんなぐちゃぐちゃな気持ちを全部受け止めそうになって混乱したり、また自分も文句ばかり垂れて何もしていないことが嫌になったりしていたので、とりあえず大成功っていう感じ。

 

さてタイトルについてだけれども。

みーさん、タイ行きは全力で応援する。私にできることは少ないかもしれないけど、とにかくできることはなんでもする。

ペロちゃん、我々引き続きつらいし、わーってなってなんもできなくなっちゃうことも多いけど、絶対なんとかなる。もちろん私にできることはなんでもする。

 

さっき思ったんだけど、みんないろいろあって、助け合ったりしてなんとかやってるわけだけど、最終的には自分で立ち上がらなきゃいけないわけじゃん。でも、自分でっていうのは必ずしも働くという選択肢ではなくって、福祉だってなんだって、自分で声を上げないと難しいよね。もちろん助けを求めてもうまくいかず、死んでしまうという残念なことも、あるけど。

 

なんで生きてるのかなって、たいていの人は一度は考えると思うし、完全に理解するのは今の私には難しいんだけど、例えばよく聞くのは「幸せになるため」。でも自分だけが幸せならいいかっていうとそうでもない。

たまにする妄想で、好きな人も好きじゃない人も、みんな幸せになれれば、この世は平和になるのにっていうのがある。ほんと夢想家で非現実的なんだけど、このシンプルな理想は、実は非現実的なんじゃなくて、本気でやれば実現可能なんだよな。

もちろん1日でできるわけじゃないから、私たちひとりひとりが目を覚まして、少しずつでもそうなっていけばいいなって思う。

だから私たちは生きてるんだし、地球や宇宙はどういうつもりで存在してるかはわからないけど、そういうルールがあるんだと思う。そして、これもまだ実感が沸かないけど、我々全てひとつで、生も死もその中にあるだけなんだろう。

前に寺に瞑想しに行ったとき、坊さんが言ってたもん。瞑想を続けていると、生きるとか死ぬとかどうでもよくなります、って。最初は「これでつらい思いをしなくて済むかも」くらいにしか思わなかったけど、今こうやって思い出すことができてラッキーだな。それだけでも行ってよかった。もっと瞑想してみよう。

 

つまり、この世に存在するもの全部が幸せになることが宇宙を保つことにつながるんだって考えることで、あ、宇宙のために生きようとか死のうとかはまだ思ってないけど、とにかくまた🍄でも食いたいなっていうところです。

 

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